「結婚」という「社会の枠」に合う人・合わない人がいる。なんでもそうだけど合わない人は無理してすることないと思う。合わない人が無理しても続かないから。とにかくその人に合ったことした方がイイ。 カンの鋭い人なら、なんとなく「未来」が感じられる方に進めばそれがたぶん「正解」

結婚って「枠」だと思うんです。

社会の枠

「枠の中にはまる人」と「枠の中にはまれない人」がいます。(私は後者です)

「お勤め」することにしても「枠」ですよね。職場など、そこに上手くはまることができるかどうか・・

「枠の中にはまれないタイプの人」が無理に自分を「枠にはめよう」とするとそりゃ無理がありますよね~

結果、枠を突破してしまったり、枠から出てしまいます。(つまり離婚とか転職とかそういうことね)

無理して頑張っても、結局、枠から外れてしまう・・周りも巻き込んでしまう
(ただ巻き込まれる方もご縁があって巻き込まれているんですけどね。だから実は「お互い様」だったりするんだけどね。お互い痛い「学び」かもね)

結婚って、結婚したからそこが「ゴール」ってわけじゃなくて。
そこから何年も、何十年も続いていく・・
もし添い遂げようと思うと、親と一緒に過ごした時間よりも長い時間を他人と暮らすかもという・・
ある意味スゴイことよね

仕事も就職できたからってそこが「ゴール」ではない・・
そこから毎日続けなくてはいけない・・毎日仕事行かなきゃいけない・・

生活って毎日のこと。

我慢って、そうそう何年も何十年も続くものでもないと思うのです。

ガマンにしても2種類あると思うんです。
「ずっと続けることができるガマン」と「ずっと続けることが不可能なガマン」

「ずっと続けることが不可能なガマン」
これ続けてると人はだいたい壊れたり病みます・・

続けるのが不可能なのに、無理やり続けてると。
壊れたり病んだりすることによって、無理なこと続けるのをやっと止めることができるわけです。

どちらにしても無理で続かないってことなので、壊れたり病んだりする前にさっさとやめた方が実は良いのです。
例え周りに「ワガママ」と言われようともね。(なぜならそう言って非難してくる人達って、壊れたり病んだりしたときに特に助けてくれるわけでもないんだよね)

「枠の中」に割とするっと「はまる」人、「はまれる」人もいますよね
そういう人達は毎日のストレスをやり過ごしながら、なんとかやっていける人たちです。
「枠から出たい」と一時的には思ったりしても、たとえ普段そう言ったりしていても、実際は出ません。
出ることをまず絶対に選びません。
結婚だけでなく、仕事などでもそうですけど。

でもどちらがイイとか悪いとか、どちらの方が上とか下とか、そういうことではないんです。

ただ「持って生まれたもの」と「適正」によることです。合ったことするだけです。

ホロスコープ的にも枠の中に「はまる」だろう人と
枠から「はみ出したり出ていく」だろう人って、配置がいろいろ違います。
それぞれが合うことをすればいいのです。

結婚と言う「枠」の中に入りたい人は入ればいいし、入りたくない人は入らないほうがいい。

別に必ず結婚しなきゃいけないわけでもないのです。

結婚しないほうが幸せに暮らせる人だっていますし、結婚より同棲したほうが仲良く続くなら、それでもいいわけです。

その辺は人によります

あと
「海外行きたい」と言う人も多いけど、別に行きたくない人もいます。その辺もほんとうに人それぞれですよね・・。

口では「海外行きたい」「海外住みたい」と言うけれど、実際は行かない人たちもたくさんいます。その辺、本当に行動するかどうかについての「ホロスコープ的な違い」が最近だんだんわかってきました。
「この人は言うだけできっと来ないだろうな」とか「ああこの人はホントに来るかも」とかいろいろ。

海外生活が合ってる人は海外に行けばいいし、日本にずっと居たい人は日本に居ればいい。
それは単に「適正」と「好み」によることです。

「枠からはみ出したり出ていく」人たちは一見、自由で華やかにも見えがちですが、実際の生活はけっこう地味で普通です。

実は「枠からはみ出したり出ていくこと」をするには準備やその他いろんなことが必要なのです。出て行った後困らないよう、前もってコツコツ準備をしていなくてはなりません。
子供の頃からそういうのを何となく感じてやり続ける人たちも多いですけどね。それはとても正しいことだと思います。私も英語嫌いなのに「これはやらないと絶対ヤバイ気がする」と子供の頃からやたらと英語勉強し続けてきましたが、今思えばそれも「準備」のうちのひとつだったんだなあ・・と今になって思います。

表に出るときは派手で華やかに見えるけど、毎日やってることや実生活はけっこう地味でコツコツ。

枠の中に居続けるのも大変だし、枠の外に出てやっていくのも、どちらも大変。
そういうの比較できないしねえ。そういう問題じゃなくて。
もし比較するとすれば「どっちがより自分に合うか」ただそれだけのことですよね・・

だから別にどちらでもいいのです。合う方で。実際どちらにもメリットとデメリットがあります。だからどちらもある意味「同じ」なのです。
ただ
ご本人がラクかしんどいか、どちらを好むか。その辺の「感覚」が実は一番大事なんだろうと思います。

とにかくその人に合ったことした方がいいです。

もしカンの鋭い人なら、なんとなく「未来」が感じられる方に進んだほうが良いです。きっとそれが一番正しいです。きっと後になってわかります。「これで良かったんだ」と。

ただ私の鑑定依頼者の方々って、ホロスコープ的に「カンの鋭い方」の配置の方々がとても多いんですよね・・。

きっと何かを「感じ取って」私に鑑定依頼されてくるんだろうなあ・・と思います。

でもそういう方々なら、本来、自分のカンに従って行動していけば実は問題解決なのですが、「自分の感覚を信じて」進めばそれで良いのですが、そうすることを阻むものがきっとたくさんたくさんあるんだろうなあ・・とよく感じています。

「思い込み」とか「欲」とか「世間体」とか「プライド」とか「今まで受けた教育」などですかね・・

ホロスコープ解読って、その辺を「あぶり出して」来ます。だから知りたくなかったこと、認めたくなかった自分の姿などと対峙することになることも多いです。

そういう意味でホロスコープ解読って「けっこうキビシイ・・」と感じることが良くあります。

自分のことって、一番よくわかっているようで、わかっていないものです。
自分の中でどうしても認めたくなかったこと、人のせいにして済ませていたこと・・

ああやっぱりそうだったか・・ってことをホロスコープから知ることは、時に痛くて、時に楽しくて、そして時になんだか清々しいです。

そこを自分で認めることができなかったから、前に進めなかっただけだったんだ・・ってことに気づくからです。