行動力が無いのにも「意味がある」。できない人がいるからこそできる人が威張れるし頑張れるから。主婦の人・親がかりの人など誰かに「守られてる」人たちが、いまいちやる気が起きなかったり行動力無いのはある意味当然

モナコ・ガイはいつものとおり、私をアパートメントの前でおろした後で、車を駐車場に置きに行きました。

そして先にアパートに戻った私は、モナコ・ガイがいないスキに大好きな生ハムをパクパク食べていました。
(モナコ・ガイは私が生ハム食べるの嫌がるのでいない時にコッソリ食べることにしてる(笑))

ほどなくしてモナコガイ帰宅。そのままキッチンに直行し、私が好きなランティーユのスープを作り始めました。

「なんだかなあ・・これでいいのか私?」と思うことがあります。

モナコ・ガイは仕事して働いて、そして私のために夕食も作る。

いや私ももちろん働いてるけどさあ。実際毎日鑑定書作りにいそしんでるもんね。

そしてモナコ・ガイ、どうも私が料理するのあんまり好きじゃないみたいなんだよね。不味いわけじゃないと思うのよ。意外と料理できるのよ(しようと思えばできるよ。ただ料理好きじゃないだけで)。でも私がお寿司作ってもモナコ・ガイは「美味しい。でも俺だって寿司作ろうと思えば作れるし」とかって言うのよ。いちいち張り合う感じ。

・・たぶん私よりも優位に立ちたいんだと思う。

それはそれで別にいいんだけど。ただ感じるのは。
相手にいろいろしてもらっていると、そして、守られていると、人っててきめんに行動力が無くなってくるんだなあということ。

自分で決めて何か行動しようとしても。「守ってくれる人」からいちいち阻止されたりダメ出しされたり行動を制限されてしまうことが多い。とても多い。

それが何度も何度も続くと。

だんだん自分でいろいろ決めることができなくなってきますねえ。判断力落ちますねえ。行動力も落ちますねえ。

使わない能力は衰えるのが自然の摂理です。筋肉だって使わないなら確実に減っていきます。

主婦の人など、旦那に「守られてる」方たちや親がかりの人たちが、いまいちやる気が起きなかったり、判断力・行動力が不足気味になるのはある意味当然かもしれないなあ・・と最近よく思います。

でもそのほうが「守る側」にとっては都合がイイのです。行動力無くて頼りない方が都合がイイし安心なのです。そのほうが(自分の元から)独立したり逃げ出すチカラが無いから。

なぜなら、守られる人がいてこその、「守る人」だから。

「守る人」は「守られる人」がいなくなると実は困ってしまいます。張り合いを失ってしまいます。
強さも元気も失ってしまいます。

強い・弱いは単に二者間の比較の問題よね。より弱い人がそこに居るからこそ強い人が存在できるのですね。

だから相手と相性さえよければ、お互い一緒に居た方がいいのかもねえ・・とも思います。弱くて守ってもらいたい人は守ってもらえるし、強くなりたい方は強くなれるから。

自分がどっちを選ぶかですね。人はどっちにもなれます。なろうと思えばね。だから自分がどうしたいかが一番大事だったりするのです。

守ってもらいたいなら自分より強い人のところに行ったほうがいいし(というかそうしないと成立しない)、いっぽう自分が強くなりたいなら独立したほうがいいってこと、弱い人の面倒みたほうがいいってことね。

相性がいまひとつで、一緒に居ると自分がどんどん精神やられていくとか、どんどん元気無くなっていくのなら、離れることも考えた方がいいかも。その辺はケースバイケースですが、自分がどうしたいかどうなりたいかが一番大事かも。一長一短あるもん。

その辺はそれぞれ自分で決めることよね。好きな方でいいのよ。人は立場によって変わるよ。「女は弱し。されど母は強し」とか普通にどこでもあるし。(だから子育てが一段落するととたんに弱くなりガックリくる母親は多い)。弱いなりに頑張って子育てした人ほどそうだと思う。お疲れさまでした!もともと弱かったのにほんと頑張ったよね!

あと会社などで何らかの地位や立場与えられた人がだんだん強くなっていくのも実際よくあることよね。逆に仕事失ったり退職してガックリ弱くなる人もいるよね。

ただねえ・・いっけんよさげに見える「守られる立場の人」もさあ・・(守ってくれる)相手がバカにしてくることあるよね。ヒドイこと言われたり。「食わせてやってる」とか偉そうにされたりとかありがちだしねえ・・相手からあまりにもバカにされるのも腹立ちますよねえ・・

プライドは誰にでもあるからですねえ・・

獅子座のモナコ・ガイ。普段から「ショーアップ」が基本です。でも能力を見せつけることができるのは「見てくれる人」「観客」がいてこそなのですね!「スゴイ」と認められるのは「スゴイ」と言ってくれる人がいてこそなのです。誰も居なけりゃ見せつけることが出来ません。だからモナコ・ガイが威張って見せつけてくるとき(料理する時や店の経営のこと話して来る時など)私はよく言います。

「あなたはすごい。お料理美味しいよ。そしてあなたはとてもラッキーよね。
なぜなら私にあなたの能力やパワーを見せつけることができるから。
でもそれってさあ、私が『できないからこそ』よね。
もし何でもできる彼女だったら、あなたが威張るチャンスは無いよね。あなたほんとラッキーよね~」

するとモナコ・ガイはうつむいて真面目な顔で

「・・そうだね、ありがとう」

本当にそうだと思ってるのか
呆れてるのか
ちょっと怒ってるのか
何考えてるのか良くわからないなあ・・

でもお互い別によくわからなくてもいいし、もしかしたらそのほうがいいのかもしれないとも思う。理解できない部分があったほうが気楽でいいのかもしれないと思う。相手の真意や心の底までいろいろわかり過ぎるのは時にとてもツライことだから。

人間関係において、相手のことを「理解できるかどうか」は実はそれほど重要でもない。それよりも大事なのは相性。相性が良ければ言葉通じなくても、お互い勘違いや誤解多くても、意外となんとかなります。ほんと意外なくらい。(でも相性が悪いとその逆ね。どんなに頑張ったって無理よ・・)

無理なこといくら頑張ったってねえ・・無理なもんは無理よ・・自分が無理なことと自分ができることはハッキリ分けて考えた方が絶対イイと思うんです。あと意外なくらい「できること」ってそれぞれの人が何かしら持っています。そこが人それぞれ違うだけの話です。なのに人と同じことしようとするからツラくなるんです。自分で苦しみを生んでいます。

実際、本当に海外と相性が良い方たちというのは、言葉がろくにできなくても、海外で友達や恋人を作ったりしています。

鑑定依頼者にもそういう方々、実際いらっしゃいますしねえ・・

そういうもんですね